戦後70年 原爆の日を前に

【田舎の花~原爆を生き抜いたシイエ】を無料でお読みいただけます。カテゴリーを下より順にご覧下さい。My father is a victim of nuclear weapons.

見えない悪魔 五

    政雄の人生もまた波乱の連続であった。政雄の繊細さは中学に上がる頃加速していった。政雄は腹違いを気にして周りを気遣い、15歳で家を飛び出したのだ。

    シイエはもちろん子供達を差別したことなどたかったが、そこは思春期に自分の存在を考え始める時期の政雄には負担になったのかもしれない。

    各地を転々としては辛い目にもあっていた。長崎を離れるということがどういうことか、初めて知ったのである。

    あるものは政雄の傷を見ると目を背け、言葉の暴力を受けることもあった。

    この頃、生き残った被爆者は次々に命を落とし、新聞は放射能の恐ろしさを書き立てていた。

    傷が見えたが最後…噂が広がりあっという間に孤立していくのだ。伝染病のような扱いを受け、体調を崩しても医者にかかれない事さえあった。

    そんな中、政雄は毎年八月九日になるとふらりと現れては初義の墓へ、唯一血を分けた兄弟の事は常に気にかけていたのであろう。     
 
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見えない悪魔 四

    虚勢を張るも、初五郎は父親としての葛藤に苦しんでいた。家族にひもじい思いをさせる日が来るのではないかと危機感に苛まれていたのだ。

    それでも子育てで働けないシイエは、毎日額に汗して働く初五郎を尊敬しており、何より皆を守ってくれているのは初五郎だと心から思っていた。

    裏腹に初五郎自身は家族の笑顔に甘えている自分が不甲斐なく、次第に酒びたりの日が増えていく。そんな甘えを断ち切るように…初五郎は呉の鉄工所に技術者として出稼ぎに出る事を決めた。

    初五郎がいない家を子供らと守るシイエ。戦後十数年が経過し原爆の惨禍から街はめざましい復興に追われていた。

    シイエはその頃から軽い目まいに幾度となく襲われるようになる。ちょうど「放射能」という聞き慣れない言葉が報道され始めた時期である。

    まだ原爆との闘いは終わってはいなかった。
 
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見えない悪魔 三

    源さんを中心としてシゲと初五郎それぞれが連携を取りながら事業を拡大していく中、ある日シゲが血相を変えて初五郎の元に駆け込んだ。

「初!あいつ夜逃げしやがった!もう金は入らんぞ!」

    納金を踏み倒されたのだ。若い職人のひとりが独立をしたいと言い初五郎はあれこれ世話を焼いていた。軌道に乗るまではと仕事も回して借金の保証人にまでなっていたのだ。

    入るはずの金が入らず借金まで負うはめになった初五郎達はあっという間に工場も家も取り上げられてしまった。

    シイエと初五郎、そして7人の子供達は一瞬にして一文無しになった。一家は式見にぼろ屋を借りて窮屈な生活を始めた。また一からやり直しである。

    しかし、初五郎もシイエも笑っていた。

「騙されたばってん…信用したのは俺やけんなぁ…仕事はまだあるけん飯は食えるし」

    金をばらまいて贅沢をしなかった事が思わぬ所で役にたった。
 
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見えない悪魔 二

    大切な存在を立て続けに失ない、シイエの心は限界だった。悪夢にうなされては目を覚まし、シイエは家事も仕事も手に付かず話す事もやめてしまった。

    その間初五郎はシイエの代わりに子供らの面倒をみ、床にふせったシイエの世話も献身的にこなしていた。

    初五郎の暖かい愛情に支えられ、シイエの悲しみは長い時間をかけて少しずつ癒されていった。 徐々にシイエが元の生活をとりもどしていく。

「シイエ…もう大丈夫やな?しっかりせろ、腹に子供もおるやろうが、他の子もおる…おまえがしっかりしてくれんと」

「あんた…もう大丈夫迷惑かけてすんません、さあ!かあちゃん元気だすけんね」

    そう言うと政雄を膝に乗せ抱き締めた。そしてその年の10月に男の子を産んだ。その後の生活は順調だった。 それからシイエは30代半ばまでに男二人女一人を産み、政雄を入れてなんと7人の母親になったのだった。 
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見えない悪魔 一

    その後シイエは24歳で初めての女の子を産み、順風満帆かと思われた。戦後の混乱から入籍をしていなかった事に気がついた二人は、シイエの両親に改めて挨拶に行こうということになる。

    シイエ達は長崎で相変わらず忙しい毎日を過ごし、なかなかシイエの実家には行く暇がなかった。日程を調整している矢先、一通の電報が届く。

「ハハカエラズ」

    シイエはその一文だけではなにかわからなかった。しかし電報をよこすとなるとよほどの事に違いない、二人は急いで田舎に向かった。

    実家の玄関にはおとやんが気の抜けた風に座り込んでいた。

「おとやん?大丈夫ね?どげんしたとね」

「おかやんが帰ってこん…貝取りにいったまんま帰ってきやせん」

「はっ?」

「波に飲まれてしもうた…もう三日前たい…舟ば出して探しよるばってん上がってこん」

    皆頭ではもうダメだとわかっていたがあきらめきれなかった。シイエの頭にはなぜかハルや旦那様の姿が浮かんだ。体が戻らない事があってたまるか…
 
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田舎の花 三

    店に戻ると皆が集まってきた。

    山蘭やスミレ…街では見れない素朴な花達、シイエの田舎がその小さな苔玉に見事に再現されていた。ずっと長崎に居た奥様には興味深い仕上がりだった。

「かわいい…」

    皆が口々にそう言って手に取って見とれていた。店先につり下げると、その珍しい花で固めた苔玉は飛ぶように売れていく。

    店に遊びに来たおかっつぁまが苔玉をみるなり興味を示した。

「あら?これはなんね?かわいかね!根はあるとね?枯れんとやろうか」

    そう言いながらくるくる回してみたりしている。

「根はありますよ!苔で土を固めてるんです」

「へーっ、帰りに一個もらうけんとっとってね!」

    それから苔玉はあっという間に売れてしまったのだ。  
 
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田舎の花 二

    シイエは一度田舎にもどることにした。

「子供らを頼みます、すぐに戻りますから」

    思い立ったら動かずにはいられないのがシイエである。ヨッコとおキヨさんに子供を預け、シイエは原爆以来初めて田舎の土を踏んだ。

    畑にはおかやんが汗まみれで仕事中だ。

「おかやーん!」

    シイエの声に振り向いたおかやんはその場にへたりこんだ。当時の田舎にはまだ電話線がつながっていない。ラジオで長崎の原爆のニュースが繰り返し流されるうち、おかやんは娘達がみな原爆で亡くなったと思っていた。大事な娘達を奉公に出したことを心から後悔していたのだ。

「シイエー…シイエー…生きとったとかーシイエー」

    おかやんはシイエにしがみつき大声で泣いた。

    姉達とはまだ連絡が取れないとおとやんが力無く呟いた。

「シイエ…子供らは元気か?」

「初義は…死んだとよ…政雄と義輝は元気になった」

    おかやんの泣く声がますます大きくなってゆく。

「なしてねぇ…はっちゃんがなしてぇ…」

    おかやんの心はいろんな事が一度に押し寄せて張り裂ける寸前だ。しばらく初義のために泣いたかと思うと、シイエが生きていた事にまた泣いた。    

 
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