原爆の惨劇 五
このままここに居ても自分らもあの人のようになる。息子も死んでしまうかもしれない…
シイエ自身もこの時はまともではなかったのだ。
そんな思いにかられシイエは立山の病院を目指した。息子二人を抱えて歩ける政雄を励ましながら病院を目指す。
「少し川で休んでいこうか…」
土手から川を覗き込むと、川には水面が見えないくらいにおびただしい数の遺体が折り重なっていた。
「喉が渇いとるとやろね」
そうつぶやく政雄もあまりの現実に思考が麻痺しはじめていたのかもしれない。
遺体を踏み越え、目玉をぶら下げて走る馬をよけ、ひとつ山をくだりまた山を登り…
遺体を踏み越え、目玉をぶら下げて走る馬をよけ、ひとつ山をくだりまた山を登り…
4人はようやく立山の病院に辿り着いた。そこは自分らが居た壕より悲惨な状況にあった。片付かない遺体であふれ返り異臭がたちこめている。
シイエはここで盗みを働いた。ブドウ糖と書かれた点滴の瓶をひとつだけだ。息子達が砂糖水が飲みたいと言ったからだ。
このまま死ぬことがあるならせめてかなえてやりたい望みだった。
人目につかない場所で中身を竹筒に移し息子達と少しずつ飲んだ。砂糖水とはほど遠かったのかもしれないが…シイエ達には生涯忘れ得ない味となる。
病院の様子は悲惨なものだった。動けない家族に付き添い、皆一様に体から次々に這い出す蛆をつまんで捨てている。 身元がわからない遺体はうずたかく積まれ、連日連夜とても原始的な方法で焼かれた。ボロを着たお坊さんらしき人が唱えるお経と、怪我人の呻き声、あとは家族を亡くした者の泣き叫ぶ声、シイエはもう何を見ても平然としていた。
シイエ自身もこの時はまともではなかったのだ。