見えない悪魔 四
虚勢を張るも、初五郎は父親としての葛藤に苦しんでいた。家族にひもじい思いをさせる日が来るのではないかと危機感に苛まれていたのだ。
それでも子育てで働けないシイエは、毎日額に汗して働く初五郎を尊敬しており、何より皆を守ってくれているのは初五郎だと心から思っていた。
裏腹に初五郎自身は家族の笑顔に甘えている自分が不甲斐なく、次第に酒びたりの日が増えていく。そんな甘えを断ち切るように…初五郎は呉の鉄工所に技術者として出稼ぎに出る事を決めた。
初五郎がいない家を子供らと守るシイエ。戦後十数年が経過し原爆の惨禍から街はめざましい復興に追われていた。
初五郎がいない家を子供らと守るシイエ。戦後十数年が経過し原爆の惨禍から街はめざましい復興に追われていた。
シイエはその頃から軽い目まいに幾度となく襲われるようになる。ちょうど「放射能」という聞き慣れない言葉が報道され始めた時期である。
まだ原爆との闘いは終わってはいなかった。
ひぐらしが鳴いていた。その日シイエは自宅裏の畑で倒れている所を発見される。最初の癌の発病である。 子宮癌だった。体内で息を潜めていた放射能という名の見えない悪魔は、確実にシイエを蝕んでいた。幸い発見が早く命はとりとめたものの、この時シイエは子宮を失った。
初五郎はシイエが倒れたとの連絡を受けて呉から飛んで帰ってきた。シイエの入院中は酒も飲まず子供らの世話を積極的にこなしていった。
初五郎はシイエが倒れたとの連絡を受けて呉から飛んで帰ってきた。シイエの入院中は酒も飲まず子供らの世話を積極的にこなしていった。
子供は七人いる、子宮なんかなくても…そう言いかけてやめた。シイエは女性らしさがなくなるかもしれないと心底なやんでいたからだ。
数ヵ月の入院の後に、シイエは初五郎の献身的な介護でみるみる回復していった。退院後しばらくは家で静養していたが新たに料亭の仲居の仕事についた。
数ヵ月の入院の後に、シイエは初五郎の献身的な介護でみるみる回復していった。退院後しばらくは家で静養していたが新たに料亭の仲居の仕事についた。
初五郎にもまた「浦上天主堂再建」というチャンスが巡ってきた。家族の人生はこれからである。
見えない悪魔…闘いは終わったかのように思われた。しばらくは平穏な毎日が続き政雄も大阪で独立を果たす。また何年かの後政雄は縁あって大阪の女性と結婚した。
元々政雄とは歳が離れていなかったシイエに40歳で初孫ができたのである。