見えない悪魔 五
政雄の人生もまた波乱の連続であった。政雄の繊細さは中学に上がる頃加速していった。政雄は腹違いを気にして周りを気遣い、15歳で家を飛び出したのだ。
「原爆にあったものにまともな子供がうまれるものか」
誰かを愛する度に決定的な言葉でことごとく引き裂かれていったのだ。
政雄は苦悩した。自分は人を愛してはならない人間だと考えるようになり、人が伴侶を見つける二十代という時代をひとりで過ごした。
シイエはもちろん子供達を差別したことなどたかったが、そこは思春期に自分の存在を考え始める時期の政雄には負担になったのかもしれない。
各地を転々としては辛い目にもあっていた。長崎を離れるということがどういうことか、初めて知ったのである。
あるものは政雄の傷を見ると目を背け、言葉の暴力を受けることもあった。
この頃、生き残った被爆者は次々に命を落とし、新聞は放射能の恐ろしさを書き立てていた。
傷が見えたが最後…噂が広がりあっという間に孤立していくのだ。伝染病のような扱いを受け、体調を崩しても医者にかかれない事さえあった。
そんな中、政雄は毎年八月九日になるとふらりと現れては初義の墓へ、唯一血を分けた兄弟の事は常に気にかけていたのであろう。
政雄にとっては所帯を持つのは夢のような話だった。あるものは政雄の傷を見ると目を背け、言葉の暴力を受けることもあった。
この頃、生き残った被爆者は次々に命を落とし、新聞は放射能の恐ろしさを書き立てていた。
傷が見えたが最後…噂が広がりあっという間に孤立していくのだ。伝染病のような扱いを受け、体調を崩しても医者にかかれない事さえあった。
そんな中、政雄は毎年八月九日になるとふらりと現れては初義の墓へ、唯一血を分けた兄弟の事は常に気にかけていたのであろう。
「原爆にあったものにまともな子供がうまれるものか」
誰かを愛する度に決定的な言葉でことごとく引き裂かれていったのだ。
政雄は苦悩した。自分は人を愛してはならない人間だと考えるようになり、人が伴侶を見つける二十代という時代をひとりで過ごした。
政雄は初五郎ゆずりの端正な顔だちに仲間を大事にする人柄で好意を寄せる女性も多かったが、何度かの出会いを自分の中で押し殺してきた。
幾度となく受けてきた差別、政雄は誰かを愛しても一緒になるとその女性を不幸にする。もし生まれて来た子供に手足がなかったら…そこにまで考えは及んでいたのである。