さようならシイエ 一
長崎県大村市、ここに初五郎とシイエの終の住処があった。子供らが独立後年老いた二人は隠居生活を始めたのだ。
いつの間にか孫は15人にまで膨れ上がり、夏休みともなると三部屋しかない小さな家は子供達でぎゅうぎゅうづめだ。
シイエは布団の上で暴れる子供らを集めては原爆の話をした。話を怖がり泣き出す孫にはこう言っていた。
「悲しいか?怖いか?今の気持ちを忘れたらいかん、皆が忘れたら同じことがまた起きる」
そして朝になると皆で食卓を囲み、食うに困らない事がいかに幸せかを伝える。孫達に少しずつ命を教えていったのだ。
シイエは孫だろうとなんだろうと甘やかす事はしなかった。悪い事をすれば本気でしかり、礼儀がなっていないとその場で恥をかかせるような事を平気で言った。
「悲しいか?怖いか?今の気持ちを忘れたらいかん、皆が忘れたら同じことがまた起きる」
そして朝になると皆で食卓を囲み、食うに困らない事がいかに幸せかを伝える。孫達に少しずつ命を教えていったのだ。
シイエは孫だろうとなんだろうと甘やかす事はしなかった。悪い事をすれば本気でしかり、礼儀がなっていないとその場で恥をかかせるような事を平気で言った。
そのためか孫達にまでシイエの精神は受け継がれて行き、誰だろうと平等に接するシイエを孫達も心から慕っていた。
孫達に囲まれて毎年夏には笑いが絶えなかった。
孫達が成長していくにつれ、徐々に子供が集まる事は少なくなってゆく。その頃からシイエは地域の活動に積極的に参加をしていった。 初五郎も活発なシイエが好きだった。花幸で身に付けた技術も余生は趣味に変わる。初五郎の死後、独り身になったシイエは踊りの師範の資格をやすやすと手にし、悲しむ暇などないと言わんばかりに毎日飛び回る生活を続けた。
シイエの家には年老いてから新しく作った仲間でいつも溢れていた。