あとがき
読んでいただきありがとうございました。
片足鳥居のすぐそばにシイエばあちゃんの墓はあります。ここにはハルさんの遺骨はありません。今も長崎のどこかで眠っています。
私は幼い頃、外に出るのが怖かった記憶があります。なぜなら、街に溢れる被爆者が怖かったからです。顔が半分なかったり、腕が両方なかったり、いくら原爆が悪いんだと教えられてもその姿を怖がらずにはいられなかったのです。
しかし、それは長くは続きませんでした。中学に上がる頃にはほとんどみかけなくなりました。それがなぜか、気づいたときは心底救いようのない恐怖に襲われました。
戦後40年の時期に次々に生き残った被爆者はいなくなっていったのですから。
シイエばあちゃんの死から14年、この物語はその頃に母があっという間に書き上げたものでした。ネットに公開したのが10年前です。放射能に関する誤解や差別などを書いていたため、震災以降は大きな反響がありました。
==== 先日、平和祈念館の方とメールできる機会がありました。これからは二世、三世が伝承の大きな役割を担う番です、とのことでした。
皆さまも、まだ表に出ていない話がありませんか?共に次世代の語り部として伝えましょう。
最後に母より皆様へメッセージです。
母の思い出話がいかばかりか長くなってしまいました…最後にシイエと初五郎が生涯暮らした長崎の街についてですが、歴史的に見ても様々な事があった街です。
ここまであらゆる出来事が詰まった街は他に類を見ないのではないでしょうか…
今の長崎はとても美しい街です。どうかこの美しい街がこの先何世代に渡って守られ…二度とあの惨たらしい出来事が起きない事を祈りながら私の話を終わりたいと思います。
最後まで70間際のおばさんの話に付き合ってくださった方々に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました…