戦後70年 原爆の日を前に

【田舎の花~原爆を生き抜いたシイエ】を無料でお読みいただけます。カテゴリーを下より順にご覧下さい。My father is a victim of nuclear weapons.

再会 四

    初五郎は一人の女を見つけた。シイエに似ているような気がして立ち止まったのだ。

    違う…女の顔は苦痛に満ちており、ひどくやせ細り視線は定まらずにいた。常に燐とした美しさをたたえていたシイエとは別人に思えた。

    また辺りを探してみるも、どうしても先ほどの女が気になりもう一度戻った。

    シイエだ。シイエに間違いなかった。待ちに待った再会の時だった。シイエの髪はやけこげ、服もボロボロで何やらぽかんとして視線が定まらない。

「シイエ!シイエ!」

    初五郎はシイエを揺さぶった。シイエは初五郎の顔をぼんやり見ているだけだ。

「シイエ!」

    初五郎は力の限りシイエを抱き締めた。シイエは相変わらず視線が定まらずされるがままになっている。

「シイエ!おいがわかっか?やっと帰ってきたとぞ!わかっか!」

    初五郎は何度もシイエを揺さぶり頬を叩いた。シイエは目をパチパチしたかと思うと、初五郎にしがみつき堰を切ったように泣き始めた。
 
続きを読む

再会 三

    周りはどこを見ても目をそむけたくなる風景ばかりだ。時折アメリカ兵がうろついているのが見える。初五郎はその度身を隠して自宅を目指した。

    自宅付近に近付くにつれ足元はさらに熱くなり靴が焼けていく、初五郎はボロボロになりながらも歩を進める。

    そしてついに自宅があったであろう場所へと辿り着いた。

    家もなにもそこにはなく、当然ながら家族の姿はない。逆に言えば…遺体はその場所にはなかったのだ。

    焼けて熱くなった土地を掘り返してもみた。わずかばかりの家財道具の焼け残りがでてくるだけだった。

    初五郎はあらゆる人に話を聞いた。まともに話せる相手にすらなかなか巡り合えない。ようやく人の集まる場所を見つけ話を聞く事ができた。

「若い女と子供が二人…赤ん坊もいるはずです!誰か見ませんでしたか!」

「多分あの人でしょう…子供の怪我が重くて、歩いて立山の病院へ向かうと言っておりましたが…」

    立山…まだ歩かなければならないのか…しかし初五郎は諦めるわけにはいかなかった。  
 
続きを読む

再会 二

    初五郎は長崎へと向かっていた。幸い諫早までは汽車が通っているが、諫早からは歩かなければならない。しかし…諫早までの道程も永遠かのように長く感じられた。

    大怪我で苦しみ自分を待っている家族、あるいは…どこかで野晒しになっている事まで頭をよぎった。

    急がなければならない。諫早で汽車を降り、初五郎は線路沿いに長崎を目指した。

    何時間歩いたのだろうか、時津の丘を超えたあたりで一変した風景に初五郎は息を飲んだ。

    兵役についている以上人の死ぬ姿は見慣れているつもりだったが、自分が知る空襲とは明らかに違うのだ。目玉が焼け落ちた馬が暴れあちこちにぶつかり、木々は立ち枯れたまま木炭になっている。

    犬が…猫が…そして人間が、川や畑…あちらこちらで息絶えごろごろと転がっている。家もなにもなく本当に焼け野原だった。

    火傷で垂れ下がった皮膚を地につけぬよう肘を曲げ幽霊のように歩く人々があちらこちらにいる。

    まさにそこにあるのは地獄、初五郎はしばらく自分の目で見た現実を受け入れられずに呆然としていた。    
 
続きを読む

再会 一

    初義は小さな体でがんばって生きていた。時折うわ言のようにつぶやいている。

「おとうちゃん…」

    シイエは絞り出すようなその声を聞く度に胸をつまらせる。

「おとうちゃん会いたかねぇ」

    初義に聞こえてるのかわからないまま少し大きな声で一生懸命話しかけた。どうしても会わせてやりたい…願いは届くのであろうか。

    その頃の初五郎は任務の真っ直中のはず。帰ってくるはずもない。シイエは初五郎が遠い土地にいるものと思っていた。

    初五郎はその時戦地での任務を終え、佐賀の兵器工場の工場長に就任したばかりだった。帰国してすぐに、一旦自宅に戻る許可を受けた矢先の原爆投下であった。

続きを読む

原爆の惨劇 六

    何をみても平気だと、そう思う事でシイエは自分自身を支えてきたのかもしれない。しかし、時折言い知れぬ恐怖心がシイエを襲っていた。
   
    上空で米軍機が旋回を続けている。そのときシイエには憎き敵という感覚は不思議となかったものの、ただただエンジン音に敏感になっていた。
 
    無意識に丘の上へ走り出す。丘の上へ着いた瞬間様々な感情が溢れ出した。苦しむ息子達の姿、見つけられなかったハルの最後にあった時の顔、田舎の両親…

そして…出征以来会っていない愛しい初五郎の顔。

    シイエは旋回する米軍機に向かって叫んだ


「殺せーっ!!」

    米軍機は飛び去りシイエはその場に崩れ落ちた。 
 
続きを読む

原爆の惨劇 五

    このままここに居ても自分らもあの人のようになる。息子も死んでしまうかもしれない…

    そんな思いにかられシイエは立山の病院を目指した。息子二人を抱えて歩ける政雄を励ましながら病院を目指す。

「少し川で休んでいこうか…」

    土手から川を覗き込むと、川には水面が見えないくらいにおびただしい数の遺体が折り重なっていた。

「喉が渇いとるとやろね」

    そうつぶやく政雄もあまりの現実に思考が麻痺しはじめていたのかもしれない。

    遺体を踏み越え、目玉をぶら下げて走る馬をよけ、ひとつ山をくだりまた山を登り…

    4人はようやく立山の病院に辿り着いた。そこは自分らが居た壕より悲惨な状況にあった。片付かない遺体であふれ返り異臭がたちこめている。

    シイエはここで盗みを働いた。ブドウ糖と書かれた点滴の瓶をひとつだけだ。息子達が砂糖水が飲みたいと言ったからだ。

    このまま死ぬことがあるならせめてかなえてやりたい望みだった。

    人目につかない場所で中身を竹筒に移し息子達と少しずつ飲んだ。砂糖水とはほど遠かったのかもしれないが…シイエ達には生涯忘れ得ない味となる。
 
続きを読む

原爆の惨劇 四

    やっと下まで降りてきたシイエは人影をみつけた。そこは小さい防空壕で、何人かの生き残った人達が身を寄せあっていた。

    その人らもシイエ達を見るとてまねきをした。近付くと初義のために場所を開けてくれたが、あまりの悪臭にシイエ達は激しく嘔吐した。

    これまでに吸い込んだ煤であろうか…家族の吐瀉物はまるで墨汁のように黒く、シイエは自分たちの体が今どうなっているのか恐怖した。

    側に居た初老の紳士が口を開く。

「大丈夫、それを吐き出した者は皆具合がよくなりよりますけん」

    確かに皆一様に体が軽くなるのを感じた。

   シイエは義輝を産んですぐに働き出した事もあり、産後の出血も残っていた。髪はやけこげ衣服もほとんど焼け落ちている事に人前に出て初めて気がついた。

    そばにいた女性が衣服を差し出しシイエを井戸に連れていく。シイエは有り難く礼を言い体を綺麗にして子供の元へ戻った。衣服とはいえあちらこちらやけこげている。

「あの…何がどうなったとですか…」

「ようわからんとです…ただ…逃げる暇すらなかったもんですけんね、原爆ではなかろうかと…」

「原爆…広島の…広島と同じとですか!」

    そこで生きている人は皆がボロボロであった。これからどうしたらいいものか…小さな防空壕の中は絶望に満ちていた。
 
続きを読む