戦後70年 原爆の日を前に

【田舎の花~原爆を生き抜いたシイエ】を無料でお読みいただけます。カテゴリーを下より順にご覧下さい。My father is a victim of nuclear weapons.

田舎の花 一

    皆でこれからの事を真剣に話し合った。シイエは自分で花を作り売るという夢を諦めてはいないと、この時初めてヨッコに話してみた。

    初五郎は源さんの仕事がますます忙しくなり、その手伝いに走り回っている。

    街も少しずつ片付き、人々に花を愛でる気持ちが戻りつつあり、シイエは田舎の花を長崎の人にも見せたいと考えていたのだ。

    田舎の花にはそれにしかない魅力がある。スミレに山蘭…街では見掛けない花がたくさんあるのだ。シイエはこれをどうやって増やすか、そしてどうやって売るかあれこれ考えを巡らせていた。
 
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復興 六

    あれほど笑いに包まれていた宴席だったが、一瞬にして沈黙に包まれた。

    しばらくは誰一人言葉を発する事ができなかった。源さんが沈黙に耐えきれないように口を開いた。

「番頭さん…よく生きていてくれた、これからは旦那の代わりにこの店を盛り上げて欲しい」

「はい…」

「まあ飲め」

    源さんは番頭の盃に酒を注いだ。そばにいたヨッコが源さんの盃に酒を注ぐ。一部始終を呆然と見ていたぼっちゃまも、番頭の手をとった。

「おかえりなさい番頭さん…いろいろ教えてくださいね」

「ぼっちゃま…ご立派になられて」

「シイエさんと同じ事言わんでくださいよ」

「いいえ…本当に…私でよければ力を尽くしますのでなんでも言ってください」

「お願いしますよ番頭さん…頼りにしてます」

    番頭は責任の重さに一瞬たじろいだが、店に受けた恩を返す好機だとすぐに思い直し、ぼっちゃまの手を強く握り返した。
 
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復興 五

    そんな奥様の様子を源さんだけは見逃さなかった。すかさず視線を向けた。

「ヨッコちゃん…番頭さんをお風呂にいれてあげなさい」

    ヨッコはその一言ですべてを悟り、静かにうなづくと番頭を奥へ連れて行った。奥様はその場にへたりこんでしまった。

「大丈夫か?びっくりしたなあ…」

「大丈夫です!よかった…本当によかった」

    奥様は自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返していた。

    程なくして、身なりを整えた番頭がヨッコと共に皆の前に現れた。奥様の前までいくと畳に頭をこすりつけ、必死の様子で言葉を絞り出していった。

「申し訳ありません!申し訳ありません!」

「番頭さん…生きててよかった…」

「ヨッコから赤ん坊の話は聞きました…皆さんでお祝いをしてくれてたと…本当にありがとうございます」

「そうね…あなたもがんばらなきゃね」

そこまで話したところで番頭は握っていた布を奥様に差し出す

「申し訳ありません…」

「なんです?」

「あの日…あの時確かに旦那様は自分のそばにおりました…でも…自分が目を覚ました時には居なかったのです…今までずっと探しておりました…旦那様が居た場所にこれが落ちておりました…どこをどう探しても旦那様は見つからないのです」

   番頭が差し出した布きれは、出かける時に奥様が旦那様に着せた羽織りの焼け残りだった。
 
  
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復興 四

    宴席に血相を変えて帰って来たシイエを見て、その場にいた全員が凍り付いた。

「ヨッコちゃ…」

    言いかけたところで源さんとシゲ、それに初五郎が飛び出してしまっていた。3人とも呆れるくらいに血の気が多いのだ。

    シイエがヨッコの手を取り台所に駆け付けた時には、3人の屈強な男達が番頭を押さえ付けていた。

    初五郎に至ってはシイエが襲われたと勘違いし、怒りから番頭の首を締め上げている。

    なんとかその場を抑えようと、シイエは力の限り叫んだ。

「ちがう!その人は番頭さんよ」

   シイエの叫びに一番驚いたのはやはりヨッコだった。シイエの顔と番頭の顔を交互に見てぽかんとしている。

    シイエの肘ががヨッコをつつく。

「ほら!旦那帰って来たとよ!番頭さんばい」

    ヨッコは裸足で外に降り番頭の顔を掴んだ。番頭の目を見て何度も何度もその顔を撫で、煤を拭っていった。

「あんたぁー!」

    ヨッコが叫んだと同時に、番頭はヨッコを力の限り抱き締めた。諦めかけていた再会の瞬間だ。    
 
 
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復興 三

    その夜は親しい者を集めて久しぶりに花幸に笑い声が響いた。源さんやシゲさんの姿もある。おかよもヨッコの祝いと聞き、嫁ぎ先から駆け付けた。

    ぼっちゃまは朝から働きづめだったからか、黙々と料理を口へ運んでいる。みんな飲んで食べて…たくさん笑った。

    シイエはおキヨさんと一緒に台所と宴席の間を慌ただしく行き来していた。シイエが台所から宴席に戻った時だった。

ガタン!

    台所から大きな物音がした。

    物音に一瞬皆の話が止まる。

「いかん!開けっ放しで猫でも入ってしもうたかもしれん…みてくるね」

    シイエはそう言うと台所に戻った。シイエは外に人影を見て息を飲んだ。しかし持ち前の勝ち気さが顔をだす。

「誰ね!誰かそこにおるとね!」

    シイエは物ごいだと思ったが、シイエの声に反応したその人影は物陰からシイエの前に姿を現してシイエの顔をじっと見据えた。

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復興 二

    奥様は本当に自分の娘の事のように喜んだ。

「ここもにぎやかになるわね…私も元気を出して働かなきゃ」

    二人は嫁いで行ったおかよにも子供が生まれると聞かされた。奥様は興奮気味に話を続ける。

「かよにもヨッコちゃんにもシイエちゃんにもまだまだ生まれるのよ!みんな私のかわいい孫達だわ…私も忙しくなるわね」

「奥様ってば…」

    久しぶりに花幸が幸せな雰囲気に包まれた。

「そうだわ!今日はヨッコちゃんのお祝いをしましょう久しぶりに皆を呼んで楽しく食事をしましょうね」

    シイエにも久しぶりに力が湧きあがり、おキヨさんと一緒に早い時間からたくさんの食事の支度におわれた。  
 
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復興 一

    家族で花幸に身を寄せ、新たな生活が始まった。絶望の淵にいたシイエにも新たな夢ができた。

    自分で育てた花を自分で売りたい…ここまで経験してきた事があまりに辛すぎて、花を見る事すら忘れてしまっていたのだ。

    過ぎた事は胸にしまい、少しずつ前を見て生きていこうと思い始めていた。源さんのおかげで初五郎の仕事も軌道に乗り、二人の子供も日に日に元気になり、以前のような生活が戻りつつあった。

    シイエは辛い過去を振り切るように毎日を忙しく過ごした。店の仕事に子育て、働いていると気が紛れるのだ。

    ヨッコも奥様もお互いの伴侶を思い出す瞬間もたくさんあるはず、しかし毎日を忙しく明るく振る舞っていた。

    そんなある日、ヨッコが青い顔で仕事をしている事にシイエが気付いた。

「ヨッコちゃん…赤ちゃんじゃなかとね?」

「うん…あの人の生まれ変わりかもしれん…神様が授けてくれたとかもしれん」

「馬鹿…生まれ変わりとかまだ帰ってくるかもしれんやろ?諦めたらいかん」

「そうばってん、もう何日になるね?今まで帰って来んとに…花農家…原爆が落ちた近くにおったとよ?あの人は…どこにもおらん…もうどこにもおらん…」

「ヨッコちゃん…」

    シイエは言葉を詰まらせ、ヨッコの手を握りしめた。気がつくと…どちらからともなく、しばらく隠していた涙を二人で流していた。



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