戦後70年 原爆の日を前に

【田舎の花~原爆を生き抜いたシイエ】を無料でお読みいただけます。カテゴリーを下より順にご覧下さい。My father is a victim of nuclear weapons.

悲しみの再出発 五

    暗くなりかけた道シイエは急いだ。早く初五郎に話がしたかったのだ。

「ただいま…」

「奥様は…元気やったか?」

「うん…だいぶ痩せとったばい…旦那様も番頭さんもおらんで…お店の奥の部屋が空いとるけんそこに住まんかって言われた…あんたにも源さんが仕事頼みたからしか」

「旦那様と番頭さんがか…原爆か?」

「そうみたい…」

「奥様も辛いだろう…なんにしろ仕事があるのは有り難い、仕事なら何でもする…早く話しに行こう」

「それなら奥様のとこでお世話になろうか?」

「そいはよかばってん…なるだけ早うしよう、よかごと話するけん少し待っとけ」

    シイエの気持ちは決まっていた。またあの店で花に囲まれて働きたい、その想いが強かったのだ。


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悲しみの再出発 四

    待ちにまった奥様との再会であったが、店もまた、大変な状況にあった。旦那様と番頭さんは原爆が落ちたあの日、花農家へと出かけ、そのまま帰ってこなかったという。

    心労からか奥様はやつれ、うつむいたまま小さな声で話をするようになっている。そんな奥様の様子を見ていると、シイエは涙せずにはいられなかった。
 
    ヨッコがシイエの脇に来て下を向いて手を握り締める。奥様とヨッコは愛する者を同じ日に亡くした女同士で、身を寄せあってひっそりと生きていたのだ。

    再会の喜び、遺された者同士の同じ気持ち、そして旦那様や番頭さん、皆で様々な想いが交錯する中、抱き合って泣いた。

    奥様が重い口を開く。

「シイエちゃん…またここで一緒に暮らしてちょうだい」

    源さんが初五郎を欲しがっているように今の奥様にはシイエが必要だった。

「奥様ありがとうございます…でも今私はひとりではありません…主人も、初義は亡くなりましたが二人子供がおります」

「初義ちゃんが…」

    声を詰まらせる奥様にシイエは話を続けた。

「政雄は怪我をしとりますが、皆元気です」

「それならここに来て…源さんが仕事を手伝って欲しいそうだし…早い方がいいでしょう」

    奥様の話が終わった瞬間、下を向いたままだったヨッコがシイエにしがみつく。

「シイエちゃん…お願い」

「ヨッコちゃん…」

    シイエはヨッコを力いっぱい抱き締めた。

    
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悲しみの再出発 三

    道すがらシイエは源さんの話を聞かされた。

「親方の指示で来たんですが、花幸の方が気になっていたもんで…急で申し訳ない、後で初五郎にも来てもらいます。」

    これからは鉄骨が主流の大きな建築物が増えるだろうと見越した源さんは、初五郎の職人としての腕が絶対に必要だと考えていた。

    若い職人と仕事のめどはつきそうだが、職人をまとめる人間は初五郎以外にいないとシゲに初五郎の捜索を頼んだのだ。

「うちも人手が…半分はあれにやられてしもうて…」

「そうですか…」

「生き残りの寄せ集めですからね…引っ張る人間がいないと仕事にならずに…」
   
    自暴自棄になり荒れる若者、生きる気力を無くした者、死の恐怖に怯える者…そこをまとめるため、どうしても初五郎を欲しがっているという。

    元々早くに家族を亡くして怖い物知らずの初五郎は、職人としての腕もさることながら、その筋の人間にも一目置かれる存在だった。

    シイエと子供らの前では優しい夫であり父であったため、シイエもそんな初五郎の一面は知らない。

    シゲの話を聞いてみても、なぜ源さんがここまで初五郎にこだわるのかはわからなかった。それより仕事がある事で少しだけ先が見えた事を喜んだ。
 
  
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悲しみの再出発 二

    ただただ漠然と先の事を考えてみるも何も浮かぶはずもない。

    そんな毎日がいくらか続いたある日、シイエ達の前に一人の男が現れた。男は二人を見るなり安堵の表情を見せた。

「やっとみつけました!ご無事で何よりです」

「シゲさん!生きていたんですね!」

    その時ようやくシイエは店やヨッコちゃん達の存在を思い出す。あまりにも過酷な毎日に、もう誰もいなくなったと思い込んでいたのかもしれない。

     源さんに奥様、自分達を案じて探してくれていた人達がいる。それがどんなに心強いことか…皆の安否を気にして一瞬顔が曇るシイエにシゲは続けた。

「花幸の奥様があなたを心配しています、一緒に来てください」

「奥様はご無事ですか!元気なんですか?」

「はい、元気です、店もあります」

    シイエは心から安堵した。こんな気持ちはどれくらいぶりだろうか…二度と大事な者を亡くしたくはなかったのだ。 
 
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悲しみの再出発 一

    初五郎は初義の最後を看取り、そのまま外へ出て三日間行方がわからなくなった。シイエはその事を気にもとめなかった。ただただ姿が変わってゆく初義のそばで一日一日を呆然と過ごした。

    時折初義の亡骸を抱き締めては、その冷たさに恐ろしい距離を感じ打ちのめされていくシイエ。なにもできなかった。

    そして…なにも感じなくなった。

    初義亡きあと姿を消していた初五郎が、三日後病院へ戻った。シイエは初義が亡くなった時のまま三人の子供のそばにいた。

    初五郎が戻った時、シイエは政雄の脇に這いつくばり、うなりながら何かをしていた。政雄の傷口から黙々と蛆を摘み出していたのだ。

「シイエ、ほら!しっかりせろ…ここを出るぞ、このままでは皆死んでしまう」

    事実この頃、病院では無傷の者達までもが原因不明のまま次々と命を落としていた。

    初五郎は姿を消してから約三日かけ、付近の廃材を集め小さな小屋を作っていたのだ。初五郎がぼんやりするシイエの肩を叩く。

「さあ…義輝ば抱け、初義は俺が抱く…政雄は歩けるな?」

    シイエは義輝を抱き、政雄の手を引いて初義を抱く初五郎の後ろをついていった。こうして長かった病院での日々は終わった。
 
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再会 六

    シイエはしばらくして炊き出しの芋を少し抱えて帰ってきた。初義はあまり口を開けられない。シイエはやわらかくふかした芋を小さくちぎって初義の口元へ運んだ。

「ほら!はっちゃん食べてごらん」

    初義は口を少しあけ二口だけ食べた。

「もうよかとね?」

「うん…あとで…」

    シイエは残りの芋を初義の手に握らせて手を離した。そのやりとりが初義の最後の言葉となった。

    小さな芋をにぎりしめ…初義はそのまま動かなくなった。

    これまでも何度かこういう事はあった。死んでるのかと思ってもいつものように息だけしてるんだ、眠ってしまったんだ…

    でも今回は違った…シイエは認めたくなかった、またいつものように初義の口元に耳をつけ呼吸を聞き安心しようとするも…呼吸は聞こえない。

「はっちゃん?はっちゃん…」

    シイエは呆然と初義の顔に触れ、芋を握るちいさな手を包み込んだ。 

    全てを悟った初五郎はだまって外に出た。あまりの状況に体を支えられず崩れ落ち呆然と立ちすくんだ。しばらくして身悶えするほどの悲しみが初五郎を襲う。

「うぉーっ!!!」

    病院の壁が初五郎の血で染まっていく…初五郎は感情をおさえきれずぼろぼろになるまで壁を殴り続けたのだ。痛みなど感じなかった。しかし、魂は今にも引き裂かれんばかりになっていった。 
 
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再会 五

    初五郎は初義の姿を見て胸を詰まらせた。込み上げてくる涙を痛む喉元で飲み込みシイエに小声でつぶやく。

「もうだめなのか?」

    シイエはだまって首を振るだけだ。

「はっちゃん、おとうちゃん帰ってきたけんね!会いたかったもんね、はっちゃん…ほら!あんたも声ばかけて」

「とうちゃん帰ってきたぞ!初…元気ばだせ!とうちゃんが助けてやるけんな」

    シイエに促され、初五郎は震えながら声を絞り出した。その懐かしい声を聞き、初義の唇がかすかに動いた。初義の瞼は焼け、落ち窪んでいる。恐らく二度と見えることはない。初五郎は初義の口元に耳を近づけた。

「おとうちゃん…おかえり…」

    か細く、弱々しい声で初義は呟いた。

    初五郎は溢れる想いのまま、夢中で初義を抱き締めようとした。しかし、それはかなわなかった。

    抱き締めようとしても体の皮はずるずると剥げ、少しでも触ると壊れてしまいそうだ。

「あぁ…神様…どうしてこの子をこんな惨たらしい姿にしてしまったのですか…この子が何をしましたか…この子は人一倍優しい子だったのに…」

    痛いとすら言えない息子の苦しみを思うと、初五郎は胸をかきむしられる思いだった。初五郎もまたシイエ同様に神を憎んだ。  
 
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